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白石康次郎

DMG MORI Sailing Teamのキャプテン、スキッパーの白石康次郎氏は、最近大西洋横断レース、トランザットCIC、そしてNewYork – VENDEE、という3つのヨットレースを終え本拠地に戻ってきた。お疲れ様です。

我々CEFJが白石康次郎氏に出会ったのは、2017年の事。その前年にVENDEE GLOBEに初出場し2020年の再出場を目指し準備を始められた時だった。当時の大使が白石氏を囲む会を催して下さり日本人が15人ほど集まった。「白石さんてご存知?」「何なさっておられる方?」という日本人同志の挨拶から始まった。会場にいるフランス人は知っていた。VENDEE GLOBEという世界一過酷なレースのことを。

この単独無寄港無補給世界一周ヨットレースは1989年に始まり、4年に一度オリンピックの年に開催される。毎年様々な基準をクリアした約30艇が参加するが、今年の第10回目からは枠が40艇になる。白石氏は唯一のアジア人として8回目に出場、そして9回目で見事完走。今秋の10回目を目指し、現在所属のDMG MORI SAILING TEAMのスキッパーとして、日々の訓練に怠りない。

この白石氏を通して日本でも、ヨットレースの醍醐味が語られるようになり、皆が注目するようになった。この過酷なスポーツのことを知るにつれ、何が惹きつけるのか、チャレンジ精神はどこから生まれてくるのか、これからどこへ行くのか、と疑問が次々に浮かんでくる。最初に我々がした質問は、「何故日本では誰も知らないのですか、海に囲まれている国なのに」。

鎌倉生まれの白石氏には、水平線の向こうを見てみたいという少年の夢があった。船を作ってみたい、と、造船所の扉をたたく。「働かせてください。ただでもいいから!」と飛び込んだという。「そしたら本当にタダ働きだったんだよね」と笑顔。史上初の世界一周単独ヨットレースで優勝をした多田雄幸氏のことを知ったのもその頃。この人だ!と決め、弟子入り。船の師匠というより、人生の師匠だと白石氏は語る。自分のやり方を無理強いせず、自分で自分のストーリーを描け、という彼の姿勢はここに原点があるのだろう。VENDEE GLOBEでは、10以上の国籍、老若男女問わず、身体に障害のある選手もい、船もそれぞれ異なり、各人全く異なるストーリーを背負って出場する。何一つ同じものは無い。波の間では皆平等。

日本の精神性とその文化を愛する白石氏。四季を感じ、変化を自然のものとして受け入れる。それは大洋でも同様。彼の船には、「天如水 」の銘が掲げられている。「てんみずのごとく(てんじょすい)」。大洋という自然の真っただ中で、地球を包んでいる「大いなる存在」を感じる時がある、という。それと一体になるのことが、水の流れる如く変幻自在に生きるということ、と語ってくれる。

笑う分、多いに泣く、という白石氏。「こんなところで、いったい何してるんだろう」と大洋のど真ん中で思うこともある。また一方、イノベーションの粋を尽くした船は、風に乗ってバンバンと波の上を滑っていく。常に気をつけなければ振り落とされることもある危険な日々。5分の睡眠を何回も取る、という。おおらかさと、計算尽くされた慎重さが同時に進行しているのが白石氏である。

今後何を目指しているのか? 2021年6月に設立されたDMG MORI SAILING ACADEMYでは、若手外洋セーラーの育成に専念している。一人前になるには少なくとも10年はかかる。彼らの登竜門とされる大西洋横断レース「Mini Transat (ミニトランザット)2023」では仏人女性Laure(完走) と日本人のFedericoの2人を送り込むことができた。2025年の同レースに向けてやはり2人(アレクソンと國米氏)がレース出場を通して経験を積んでいる最中。チーム外でも、他に日本人2人がミニトランザットに挑戦している。白石氏は「僕のフランスでの活動がきっかけで、多くの日本人がフランスに乗り込み外洋レースにチャレンジしている姿を見ると本当にうれしいですね」とオール日本を目指している。来年はジャパン・ツアーも企画し、今秋ヴェンデ・グローブで活躍する船を日本に持ってかえり日本のファンの皆様に披露する計画もある。(もしかしたら、万博会場でも?!)。

白石さん、そしてチームの皆様、秋目指して頑張ってください。10月の出発ヴィレッジに応援に参ります!

DMG MORI SAILING TEAM
Constructeur et compétition de voile
白石康次郎