Induoは、テクノロジーテキスタイルを専門とする会社です。高級プレミアシャツのブランド向けに高性能な綿生地の開発を行っています。この生地は 汚れが付きにくく、 また着心地の良さを特徴とする素材です。この会社を起業するまで、様々な冒険があったことでしょう。Induo社長セバスチャン・フランソワさんは、CEFJとの出会いについて、そして今日に至るまでの様々な体験についてお話しくださいました。
1. CEFJ との出会いは、どのようなご縁で始まったのでしょうか?
CEFJとの最初の出会いは2009年のことです。その当時、私は大学の交換留学制度を利用して、東京の慶応義塾大学に留学をしていました。私は、留学終了後、フランスへ帰国する前に日本でインターンシップを行いたかったので、大学の授業が終了してから2ヵ月後の航空券を購入していました。しかし、日本に滞在してから、日本のインターンシップ制度はフランスと同じ仕組みでないことを知りました。今になってみると、インターネットを利用して事前の情報収集を怠っていたことを少々恥ずかしく思います。現地で、私はインターン先を見つけるために、あらゆる手段を探しました。そんな時、CEFJから京都にある商工会議所のインターンシップを教えていただきました。このインターンシップは、京都伝統工芸のエコシステムを見出したり、また会員企業の方々とヨーロッパ輸出の可能性を検討するという、とても刺激的な内容でした。
2. 以前から日本への関心はありましたか?
幼少期に、漫画文化を通して日本を知りました。成人してから、日本の伝統文化に関する多くの書物を読み始めました。またHECの1年目に、慶応義塾大学への交換留学を決意しました。表面的かもしれませんが、その当時、半年の留学を決めるには十分なきっかけでした。日本留学に旅立った多くのフランス人と話してみると、私の話にはオリジナル性が欠けていると思いました。
3. あなたにとってCEFJとは? 日本で何を学びましたか?
10年前に経験した日本滞在のおかげで、私は、すぐにその後の人生設計を立てることができました。まず、個人的には、ヨーロッパを一度も出たことがなかったので、童心に返ったようなカルチャーショックを受けました。当たり前と思っていたことが、そうではなかったと言うことです。なぜなら、自分とは別のビジョンを持っている人が存在するとは想像してもいなかったからです。個人的な疑問は異国でも同じくらい奥深いものであるとは思ってもいませんでした。日本人の独特の世界観は西洋人にとって魅惑的であると同時に、 理解しづらいことでもありました。 日本で行ったインターンシップ初日がそれを物語っています。私は、西洋人の長所として、企業に価値あるものもたらす能力、つまり、全力を尽くして働くことを示したかったのです。ところが企業が私に最初に求めてきたことは、3時間もの間、正座で(私には既に不可能な姿勢)版画の熟練職人の仕事を観察することでした。自分の企業価値をいち早く証明したくてやる気に満ちた20歳そこそこの若いフランス人にとって、 わけも分からないまま 、少しの間も微動だにしない姿勢で長時間集中して熟練職人と二人きりで過ごす3時間が、どれほほど理解不能だったことでしょう!他の騒然たる例としては、インターンシップの争点です。もし私が、日本人に自分のインターンシップを簡単に説明するなら、京都の伝統工芸のエコシステムを学ぶ研修だと言います。もし私がフランス人に説明するなら、これは任務ではなく、ヨーロッパに輸出しようとする職人さんを手助けする役目と言います。事実をいうと、私が、 インターンシップを行った 企業に貢献できたことと言えば、日本人とは異なる 私のリアクションをお見せできたことでしょう。 個人的には、日本の文化について非常に多くのことを学びましたが、他人と異なる点のある自分自身ということも学びました。 職業的見解では、日本から帰国した後、私は最初の会社であるKyototradition.comを起業し、フランスに日本の伝統工芸品を販売する事業を行いました。CEFJ無しでは、この会社を起業することができなかったでしょう。なぜなら、CEFJのおかげで、 私は、 京都の商工会議所でインターンシップを行うことができ、多数の伝統工芸の職人たちとも出会えました。 そしてこの第1の起業がなければ、第2の事業も存在しなかったでしょう。そんなことは、誰もわかりません。なので、現在の私の会社は、直接的に日本と関わりはないですが、CEFJのおかげであることに変わりありません。
4.現在にいたるまでの経歴を教えてください。
まずは、HECで学びました。在学中、日本留学したので、HECのキャンパスに通っていた期間は短かったですが。それからインドにも滞在したり、アメリカのマサチューセッツ工科大学で勉学を終了いたしました。学生のころ、最初の会社である、Kyototradition.comを起業しましたが、学業終了後、この事業のみに専念しないと決めて、Capgemini Consultingに入社しました。そこでコンサルタントの仕事をしてから2年後、革新的な繊維製造業界の会社であるInduoを起業しました。最初の製品として、汚れや汗に強いシャツ用生地を取り扱いました。それから5年、現在もこの会社を経営しています。
5. G20 Young Entrepreneur Associationに参加した経緯を教えてください。
毎年、l’association Citizen Entrepreneurは、G20 でフランス代表となる若手起業家を決めるために企業家をセレクションしています。Induoは20数社の中から選ばれました。5月中旬に参加者全員と福岡で対面しました。
6.そこでの経験はから得たものを教えてください。
サミットの目的とは、若手起業家の問題点を政治的な議論に取り入れてもらえるよう、諸政府に提言をすることにあります。しかし、個人的には、特に世界中の起業家との出会いから多くのことを学びました。例えば日本に関して言うと、東京の街は私が住んでいた10年前とは見違えるほど変化していました。非常に強力な国際化を感じました。英語での表示が多く、観光客が増え、多くの日本人が英語を話せるようになっていました。しかしながら、この国際化は東京に集中した傾向で(福岡はそうではなかった)、経済的観点からはまだ完全に国際化しているわけではありません。なぜなら、高級ブランドや、食の分野以外、日本に進出している海外企業はまだ少ないからです。
7.今日、そして明日、どのような起業家を予想していますか?
G20YEAでの私の最大の驚きは、起業家の違いにありました。
国によって異なっているだけでなく、代表団の中にも違いがありました。未熟さの中にも起業家としてのグローバル精神を明確に感じることができましたが、その精神の現れ方は
リーダー性を必要とする分野にいる人々は、できるだけ多くのお金を集め、できるだけ速く事業拡大しようと努めます。また他の人々は反対に、可能な限り独立して、自身の仕事を創り出しているので、投資家を必要としていません。私は複数のモデルが重要だと思います。 転職や起業家とサラリーマンの身分変更が頻繁になった今日、私たちの雇用との関係や、あらゆるレベルの研究や経験との関係は根本的な部分から変化しつつあります。たとえ労働を規制する法律が、 これらの変化に必ずしも適応していないとしても。 だから私は境界線が曖昧になっていき、それが私たちの社会の構造を変えていくのだと 思います。同様に、企業の国際化も急速に進んでいます。(Induoは10人ほどの従業員の会社ですが、すでに3カ国に事務所を構えています。) 繰り返しますが、規制構造は必ずしもこれに適合しているわけではありません。それで私は明日の起業家であるMonsieur、Madame 、皆が国際的に迅速に交流を交わせることを願っています。
8. CEFJは どのような形で、あなたのプロジェクトに協力できるでしょうか?
日本は、海外企業にとって、 まだ難しい市場です。日本に数名お客さんがいますが、潜在的市場としてはとても強いのに、日本市場での売り上げ高は非常に低いです。多くのCEFJの会員は、日本のクライアントや販売パートナーを 見つけることは私達にとって重要な課題です。 もう1つの課題は、研究開発における戦略的パートナーシップの可能性です。私達のセクタ-に非常に興味深い技術的ノウハウを持つ日本企業が多数 存在します。 これらの会社は私たちよりもはるかに規模の大きい企業なので、これは少し複雑かもしれませんが、産業の相乗効果は期待できます。これはフランス企業にとって、我々の開発を促進することが可能になり、また我々の潜在的なパートナーにとって、彼らのイノベーション能力を促す可能性となるでしょう。